2016年7月12日

Undicesimo anno

11年目



今日はこれから、今週末に本番を迎えるボエームのゲネプロ。昼間の別演目の立ち稽古から続いてのゲネプロなので、バールで夕ご飯のパニーノを食べて、野外劇場の椅子に座って湖と舞台を眺めながらこれを書いています。



プッチーニ・フェスティバルで夏に仕事をするようになって、今年で11年目。11年間、日本の夏知らずです。ここに来ることがなければ、アンドレアと結婚する事はなかっただろうな、、、。そんな事を考えていたら、色々な人の顔が浮かびました。



12年前の夏、初めてこのフェスティバルを訪れました。大阪の堺市シティオペラの面々と一緒にです。その翌年に、堺からマダム・バタフライの舞台を持ってくるための打ち合わせのためでした。舞台セット、衣装、ソリスト、コーラス等を持ってきての引っ越し公演です。



その当時、現地に着いてフェスティバルの方々と会うまでは、
『なんか夢みたいな話だね。イタリア人の事だし、現地に行ったら、そんな約束はしてないよ、、、なんて言われるんじゃないの?』と、半分疑いつつもここまでやって来たのでした。ところが、なんのなんの!打ち合わせも滞りなく進み、『ひえー!来年、皆んなでこの舞台に立つんや!ホンマなんや!』と、訪れたメンバー全員のアドレナリン度数 Max になったなのだったなぁ、、、(笑)



それからの1年。準備や各種の交渉事で大変な日々もありました。主役の蝶々さんがなかなか決まらず、パリでオーディションがあったり、ホテルの交渉が上手くいかず、間に入って通訳をしていた私はとても苦しい思いをした事もありました。まさかイタリアの真夏の野外劇場の夜がこんなに冷え込むとは知らず、照明のために居残る日本人スタッフのために、何枚もの上着を借りに行ったり。分からないことだらけでしたが、転んでも起き上がり、凹んでも頑張って、大きな夢に向かって進み続け、1年後に見事な公演を成し得たのでした。それはそれは素晴らしい経験でした。



その時のご縁から、毎夏、ここに来るようになったのです。最初の年に、コレペティとして働いていた仲間は、今はそれぞれの道に進んでここにはもういません。実は、ここでは私が一番の古株。しかも最年長(笑)



事務所やオケで、新しくフェスティバルに入ってきた人達の表情から、『なんじゃ、この東洋人?』みたいなものを読み取れる時もありますが、今やへっちゃら(笑)



さて。
そろそろ仕事です。
ではまた!(^o^)/












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