2014年2月17日

Il nuovo Primo Ministro

新しい首相


今朝、イタリアでは新しい首相が誕生しました。
マッテーオ   レンツィ、39歳。
前首相エンリーコ   レッタは、今年で48歳。


若い首相が続きます。
レッタ政権は、11ヶ月で破綻。
レンツィ氏は、レッタ氏と全く違うタイプです。


これから、その新首相の発言や行動、政策
そしてその成果等を見なければ、今は何も判断できませんが
今朝の記者会見を見ていて、レンツィ氏自身から出ている
若くしなやかで、何か大きなオーラの様なものには惹きつけられました。


次々と大事な企業が潰れていく現在のイタリア。
仕事に溢れ、生活がままならない家庭も数多く。
若い人々の失業率は高く、希望を持つ人が少ない。


自分を守ることしか考えられない政治屋が多いこの国。
彼が、そういう人達の一人でない事を祈ります。
そして、芸術の価値、大切さを知っている人であって欲しい。


この数日の、首相退陣から新首相誕生までの大騒ぎ。
声高に言い負かし、論破することを勝ちとする。
人の話は、自分の話で遮るために存在し、聞くためにあるのではない。
イタリアのそういう一面を、改めて感じた日々です。



誰かを論破できるくらい
私もイタリア語をバンバン話したいわー。
そら、、、勉強せなね(笑)


では、また(^_^)


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2014年2月15日

Va bene così ......ogni tanto!

たまには、、、こんなんもイイよね!




先週の木曜日から
アンドレアが仕事で香港なので
10日間ほど、久々の一人生活です。


よく考えると、結婚してから今まで
私が一人でここでお留守番という機会はなく
プッチーニフェスティバルの時も
日本に帰っている時も
いつもは彼が、ここでお留守番してくれていました。


渡航先の香港とイタリアの時差は7時間。
日本よりも1時間短いだけです。
なので、いつも私が日本にいる時にかけている時間帯に
今回は、彼から連絡が入ってきます。
なんだか変な気分です(笑)


日本に自分がいる時は、
仕事とは言え、一人でおいていってしまって悪いなぁ、、、。
ちゃんと食べてるかなぁ、、、等と考えたりしていましたが
たまの一人生活には、いいところもありそうです。


ただ私の場合、一度日本に帰ると
結構、期間が長いということもあるからなぁ。
その点は、今回の彼の場合とは違いますね。
調子に乗らないようにしとこ(笑)



実際に、一人でお留守番してみると
ここが自分の家という実感が妙に深まって
家と仲良くなれ、居心地の良さを再確認できます。
これは、意外な発見でした。



最初の日の夜は、初めてだし、ここはイタリアだし
寝る時に一人だと、ちょっと怖かったりするんだろうか?
等と結構心配していたのですが全然平気でした(笑)
爆睡とは言いませんが、ぐっすり寝ました。
家の神様が守ってくれてますね。


しかも、自分の好きな時間に起きて
自分の食べたいものを、食べたい時間に食べて
夜更かしもして、寝たい時に寝て、、、。
しかも、適度に散らかったままでも気にしなくていい!
いいじゃないですか、これ!
いやぁ、すっかり忘れてました。こういう感覚。


今、これを書いているテーブルの上は
昨日も今日も、何冊かの本が積み上げられたたまま。
それらを横によせて、晩御飯もいただく。
あぁ、これこれ(笑)




、、、なんて書いてたら、
香港のアンドレアからテレビ電話がかかってきました。
『時差ぼけでねむられへーーーん!』ですって。
あぁ、吃驚した。何か聞こえたんかな?(笑)




兎に角、この忘れていたダラダラ生活を
もう数日、一人でゆっくり愉しみたいと思います。


では、また(^_^)










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2014年2月2日

Il binario 21


21番ホーム


ミラノ中央駅(Milano Centrale) の
21番ホームの丁度中ほどぐらいには、こんなモニュメントがあります。


実はミラノ駅には、地下に、もう一つの21番ホームがありました。
悲しい歴史を持つホームです。

その事がこの石碑に刻まれています。
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TRA IL DICEMBRE 1943 E IL MAGGIO 1944          1943年12月から1944年5月の期間
DAL SOTTERRANEI DI QUESTA STAZIONE            この駅の地下駅から
COMINCIO A LUNGO VIAGGIO                               長い旅が始まった
DI UOMINI DONNE E BAMBINI                                ユダヤの男達と女達と子供達と
EBREI E OPPOSITORI POLITICI                               政権に反対する者達を
DEPORTATO VERSO AUSCHWITS                          アウシュヴィッツや
E ALTRI LAGER NAZISTI                                          ナチスの他の強制収容所に送るために
LA LORO MEMORIA VIVE TRA NOI                          彼等の思い出は我々の中に生き続ける
INSIEME AL RICORDO DI TUTTE LE VITTIME          20世紀の大量殺戮の
DEI GENOCIDI DEL XX SECOLO                              全ての犠牲者の記憶と共に

"POICHÉ L'ANGOSCIA DI CIASCUNO.                    " 各々の苦脳は
               È LA NOSTRA"                                                  私達のものなのだから " 

                                       PRIMO LEVI                                                     プリモ    レーヴィ

MILANO 27 GENNAIO 1998                                     1998年1月 27日  ミラノ
                                                                                                                     (高崎訳)
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なぜミラノの地下に駅があったかというと、
人々がその事を知ってはいけなかったから。
人々がそれを見てはいけなかったからと言われています。


1月27日は、1945年にロシアによってアウシュヴィッツが解放された日。
そして " POICHÉ .... " の文章はこの石碑のできる一年前に亡くなった
イタリア系ユダヤ人で自らもアウシュヴィッツからの生還者であった
プリモ   レーヴィが、広島の事を書いた詩の最初の一節です。


この 1月27日は、この大量殺戮を決して忘れないようにと
毎年、イタリアでも様々な行事が行われます。
地下の21番ホームも一般に公開されていました。
他にテレビでも、ドキュメンタリー、映画、音楽会と様々な報道がありました。


今年は同じ日に  スカラ座でマエストロ・アッバードの追悼公演もありました。
スカラ座の広場に集まった人の数は8000人だったとか。
誰もが彼を想い、尊敬と感謝を込めてオーケストラの演奏を聞いていたそうです。


この国で、亡くなった方への想いの強さと暖かさを知った日でした。




では、また(^_^)

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2014年2月1日

La signora di sotto

下の階のおばあちゃま



我が家の下の階には、90歳を超えたおばあちゃまがお一人で住んでらっしゃる。
普段は、会えば挨拶をする程度のお付き合い。
それでも今までに、二度ほどお話しする機会があった。


一度目は、テーブルクロス上に腕輪を置いたままにしていて
それを知らなかったアンドレアが、食後にベランダに出て
クロスのパン屑をはたいていた際に
その腕輪を、おばあちゃまのお庭に落としてしまった時。


すぐに二人で階下に降りてゆき、事情を話して腕輪を取らせてもらった。
お一人で住んでらっしゃること。ナポリのお生まれだということ。
一度、泥棒に入られたので、それ以来、鎧戸の外側に鉄作も取り付けられたこと。
そんな事をうかがって、ご迷惑を再度謝って、腕輪と一緒に家に帰ってきた。
お庭には、かなりの雪が積もっていたのを覚えている。そんな季節の頃だった。


耳が遠くて聞こえにくくていらっしゃるらしく
普段は、テレビをご覧になるのはかなりの大音量。
お話をされる時も、とても大きな声で話される。
それで、テレビの音がしていたり、話し声が聞こえている時は
あぁ、お家にいらっしゃるんだなと思うようになった。


二度目は、それから半年以上は経った頃。まだ暑さが続いていた時期だった。
お昼ご飯を食べ終えた私は、下からおばあちゃまの声がするのに気がついた。
そう言えば、午前中にも誰かを呼んでらしたような声がしていたなと思いながら窓を開けた。
『aiuto.... Aiuto.....』そんな風に聞こえた。ギョッとした。
Aiuto とは、『助けて、、、』という意味。


まだここに馴染めてなかった頃で、私自身が沢山の不安を抱えていた頃。
自分のイタリア語に凹むことが、今よりもっともっと多かった頃。
だから、聞こえた言葉に自信がなかった。そしてすぐに、その声は静かになった。
やはり聞き間違えたかな?と思って暫くしたら
また『Aiutooooo....aiuto!』とおばあちゃまの声が聞こえてきた。
いくら私でも、今度は聞こえた言葉に確信を持った。
それで、お隣の奥さんに事情を話して一緒に下に様子を見にいった。


助けてと叫び続けるおばあちゃまに扉の外から声をかけ
幸い中から鍵がかかっていなかったので、二人してすぐに中に入って驚いた。
おばあちゃまは、叫びながらソファーの前で倒れていた。
何かの拍子で倒れた後、一人で起き上がれなくて、かなりの間叫び続けていらしたようだ。


幸い怪我もなく、意識もはっきりしてらしたのだが
そのまま、おばあちゃまを一人でおいて行くこともできず
いつもお世話をしているお姉さんが来るのを二人で待つことにした。
その時に、おばあちゃまの若かった頃のお写真をみせていただいたりして
亡くなったご主人の話なんかをうかがった。素敵な写真だった。


そして今日は、夕食後の時間から今もずっと、
下のおばあちゃまのお宅から、何人かの話し声が聞こえてきている。
玄関を入ると、すぐ居間になる今風な私達のイタリアの住まい。
他のお家の間取りも、それほど大きくは変わらない。
石造りなので、人の話し声もテレビの音も、廊下にまですぐ響き渡ってしまう。
流石に話の中身までは分からないけれど、その口調は結構ダイレクトに伝わってくる。


一昨日のこと。
何かのはずみで鎧戸が勝手に閉まってしまったらしく
おばあちゃまは一人で、庭に締め出されてしまったらしい。
その叫び声に、何件かの人が廊下に出てきた。
残念ながら、今回は玄関に鍵がかかっていて中に入ることはできない。
しかも庭の垣根が高くて、外からも簡単には入れそうにない。
故に連れ出すことも不可能。しかも生憎の雨。寒さも増してくる時間帯。
でも、何とか家族の方に連絡を取ることができて、
お孫さんらしき女の子が扉を開けにやってきた。


最近は、夜に付き添っていたお姉さんが来られなくなったようで
夕方にデイサービスから連れて帰ってもらったら、お一人で過ごされていたようだ。
まだ続いている話し合いは、きっとこれからのおばあちゃまの生活のことだろう。
時折、おばあちゃまの大きな声が聞こえてくる。中々、話し合いは終わりそうもない。
もう深夜12時になる。


おばあちゃまも含め、みんなが納得する方法が見つかる事を祈りたい。


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