21番ホーム
ミラノ中央駅(Milano Centrale) の
21番ホームの丁度中ほどぐらいには、こんなモニュメントがあります。
実はミラノ駅には、地下に、もう一つの21番ホームがありました。
悲しい歴史を持つホームです。
その事がこの石碑に刻まれています。
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TRA IL DICEMBRE 1943 E IL MAGGIO 1944 1943年12月から1944年5月の期間
DAL SOTTERRANEI DI QUESTA STAZIONE この駅の地下駅から
COMINCIO A LUNGO VIAGGIO 長い旅が始まった
DI UOMINI DONNE E BAMBINI ユダヤの男達と女達と子供達と
EBREI E OPPOSITORI POLITICI 政権に反対する者達を
DEPORTATO VERSO AUSCHWITS アウシュヴィッツや
E ALTRI LAGER NAZISTI ナチスの他の強制収容所に送るために
LA LORO MEMORIA VIVE TRA NOI 彼等の思い出は我々の中に生き続ける
INSIEME AL RICORDO DI TUTTE LE VITTIME 20世紀の大量殺戮の
DEI GENOCIDI DEL XX SECOLO 全ての犠牲者の記憶と共に
"POICHÉ L'ANGOSCIA DI CIASCUNO. " 各々の苦脳は
È LA NOSTRA" 私達のものなのだから "
PRIMO LEVI プリモ レーヴィ
MILANO 27 GENNAIO 1998 1998年1月 27日 ミラノ
(高崎訳)
ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーなぜミラノの地下に駅があったかというと、
人々がその事を知ってはいけなかったから。
人々がそれを見てはいけなかったからと言われています。
1月27日は、1945年にロシアによってアウシュヴィッツが解放された日。
そして " POICHÉ .... " の文章はこの石碑のできる一年前に亡くなった
イタリア系ユダヤ人で自らもアウシュヴィッツからの生還者であった
プリモ レーヴィが、広島の事を書いた詩の最初の一節です。
この 1月27日は、この大量殺戮を決して忘れないようにと
毎年、イタリアでも様々な行事が行われます。
地下の21番ホームも一般に公開されていました。
他にテレビでも、ドキュメンタリー、映画、音楽会と様々な報道がありました。
今年は同じ日に スカラ座でマエストロ・アッバードの追悼公演もありました。
スカラ座の広場に集まった人の数は8000人だったとか。
誰もが彼を想い、尊敬と感謝を込めてオーケストラの演奏を聞いていたそうです。
この国で、亡くなった方への想いの強さと暖かさを知った日でした。
では、また(^_^)
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