2016年7月6日

Cremazione

火葬



今日は、ちょっと重い話です。
トッレの町では、今年はこんな風に書かれた布を、あちらこちらで見かけます。

『No al forno crematorio! 』
火葬炉(火葬場)はいらない!


既に存在する火葬場に対しての抗議と、火葬炉の停止を求めている市民運動の1つです。火葬場が町から近いところに建設され、尚且つ火葬炉からの煤煙が酷いのだそうです。



この国に住むようになって吃驚した事の1つに、火葬ではなく土葬の割合が未だにかなり高いことがあります。
昨年、義母が亡くなった際に、初めて火葬ではないお葬式に参列しましたが、何とも不思議な感覚を味わいました。



イタリアだって無限に土地があるわけではないので、皆が本当に土の下に眠るのではありません。墓地には墓石が地面にあるお墓と、棺ごと入れることのできる奥行きが深い、巨大なコインロッカーのような仕組みになっているお墓の二種類があるようです。


ここには詳しくは書きませんが、何十年か経つと棺は取り出され、中に残る遺体を荼毘に付して骨壷に入れなおし、元いた場所に安置するそうです。
ですから、土葬でも代々のお墓に入ることができる様です。


お義母さんは、後者のお墓に埋葬されて(、、、と言えるのかな?)います。身体がずっとそこに安置されているという状態。実際にお墓に棺が入れられて蓋をされた時、中の闇と無音を想像してしまい、悲しみとそれ以外の気持ちが混じった、何とも表し難い気持ちになりました。


日本のお葬式では、荼毘に付されると、身体はこの世の中から無くなっただと思えます。でも、お義母さんの身体は、ずっとそこにあるのですよね。お墓まいりに行くと、どうしてもその事を考えてしまいます。だから、心の支えになる人もあるのかな?


国が変わると、風習や常識が変わると頭では分かっていますが、実際にそれを見たり、経験したり、受け入れたりする時に感じる事は、思いもよらない感覚だったりします。そして、時には、自分の根っこが日本にあるのだなぁと再認識する機会になったり、自分を作っているものが、自分の今までの全ての歴史だと思えたりする。面白いですね。


ではまた!(^o^)/













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